43歳の独身男なんて別にサクッと死んでもいいと思う

新年早々申し訳ないタイトルなんだけど、今年3月で43歳になる今、本当にそう思う。

 

有名な登山家が4人、43歳で亡くなった。

何でもやれると勘違いしやすい…「43歳」に多くの冒険家が命を落とすのは偶然ではない それでも私を北極に向かわせた「焦燥感」の正体 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 

経験と体力と気力が、43歳の今こそ全て合致してきている、と。だから今挑戦しようと思ってしまう。側から見たら、いや、あんた体力もう全然落ちてますよ、と。でもやっちゃうんだろうな。これから衰えていくだけだから。今日が一番若いから。ほんで死んでしまう。

 

日々PCと向き合いながら曲を作っている俺みたいなしがない作曲家から言わしたら、その同じ歳の登山家には「やめとけ、ほぼ死ぬよ、あんた死ぬよ」と言いたい。…いや、うーん…いや、言わないかな。勝手に死ね、あんた山で死ぬしかねえよって思うかな。

 

 

男が早死にの家系なんで、70代で死ぬんだろうという意識は若い頃からずっとあった。40歳を超えた頃には、人生とっくに折り返したなと。結婚にも興味がないから、子供がどうこうも想像の範囲外だ。こんなにちゃらんぽらんに生きてきた遺伝子なんか、残さないほうがいい。ホモサピエンスのマクガフィンが「生き残る」だとしたら、だけど。

 

若い奴らは言う。「自分のために生きるのって限界ないですか?」と。それで限界を感じる人は家族を作ればいい。そして子供のためにお金を稼げばいい。日本は資本主義ですし。それはとても素晴らしいことですし。

 

生きる理由なんかひとつもない。寝て起きたら体力が回復してるんだから生きるしかない。脳で、心で、じゃなく、体が生きろと言っている。なんのために生きてるの?じゃないんだよ。生きてるから生きてるんだ。

 

今日寝て意識が戻らないで死んでたら最高だなと思いながら毎日寝てる。

 

 

あ、今日Fire TV Stick ポチったから明日届くの楽しみ。