独身のままあと半年ほどで40歳になる。結婚願望はなく、委託仕事を適当にやりつつ空いた時間で音楽を作ったりブログを書いたりして副収入を得ながら、飲み歩いたり旅行したりしていて、日々に何の不満もない。何なら毎日楽しくてしょうがない。
26歳でバンドで上京して日本中をツアーしていたら、特にバカ売れすることもなく30歳になっていた。そんな10年前。
20代はそれでいい。世界の主人公は自分だと思っていた。
▷俺だってブランキージェットシティーみたいに解散したかった。
ニヒリズム
この世のあらゆることは全部意味がないという別名「虚無主義」。哲学者ニーチェの考え方。「ニーチェの馬」という映画を見てみてほしい。ひたすら馬を引いて日々ジャガイモを食うだけの映画。見てて10回くらい寝落ちした。それがニヒリズム。
2種類のニヒリズム
この世の事象すべて意味がなくても、サクッと死ぬこともできないしとりあえず飯食って生きていかなくちゃいけないから、どっちの感じで生きていくかっていう話。
①受動的ニヒリズム
人生意味がないのを受け入れて、流れ流され生きていく。人生諦めた感じ。やる気なし。
②能動的ニヒリズム
人生何の意味もないから、自分のやりたいことに日々命を注ぐ。そんな趣味や仕事を見つけたあなたは、とてつもなくラッキーです。
とはいえ実際どう?
田舎が青森なんだけど、タメの友人たちはほとんどが結婚して子供がいて、一軒家を35年ローンで建てて日々忙しく働いている。
1年に1回も帰省しない上に、当日サラッと友人に「今日帰省してるから飲まないか?」と連絡を入れたら、当日に言われても基本無理だと若干怒られたことがあった。いや、別に今回くらいは飲めなくても問題ないっしょ的に考えてたんだけど、友人曰く「ちゃんと連絡しろ、こっちは日々田舎で暮らしててつまんねえんだ。」と。
田舎だろうが子育てしながら日々忙しく働いてたらつまんなくなんかないだろ、と思うのは東京の独身者の空想に過ぎない。
要は心持ち次第で、独身だろうが既婚だろうが都会だろうが田舎だろうが、受動的か能動的かで、日々の過ごし方は決まる。
不惑の四十
孔子曰く「四十にして惑わず」。人生100年とか言い始めた令和時代にはそぐはないとは思うけど。
先日ツイッターで村上春樹botはこう言ってた。
四十歳というのはひとつの大きな転換点であって、それは何かを取り、何かをあとに置いていくことなのだ、と。その精神的な組み換えが終わってしまったあとでは、好むと好まざるとにかかわらず、もうあともどりはできないのだ。
— 村上春樹のつぶやき (@EssentialWord1) September 1, 2019
どうなんだろう。40歳になった瞬間に変わるもんでもないし、死に向かって緩やかに心も体もモーフィングしていくだけだろうな。
能動的ニヒリズムまとめ
20代は自分が無我夢中になれるものを探す年代。30代はそれを整理する。40代は…健康体でやれることをやるってとこかな。
自分の30代は、金にはならないけどずっと続けたいバンド活動をやりつつ、音楽制作とブログで文章を書くことでマネタイズすることだった、という話でした。