当サイトはアフィリエイト広告を利用しています

【仏教】「自分が人生の主人公であること」を考えさせられた対照的な2つの記事【はてな匿名ダイアリー】

f:id:osanaiyuta0321:20200123225832j:plain

これは光明寺の僧侶・松本紹圭(まつもとしょうけい)さんの記事。仏教のプロ中のプロ。今人間に生まれているということは、仏教でいえば悟りを得られる幸運なステージにいる、と。

「主人公」という言葉がありますよね。意外かもしれませんが、あれは禅の言葉なんです。私がこの人生、私のかかわりにおける世界の主人公であることを思い出すこと。そのことに、死を意識することで気づく人もいれば、大きな時間軸のスケールでとらえることで気づく人もいる。どちらにしても、共通するのは「私が私を生き始める」ことの大切さです。

変化するのが怖い、他人からの評価が気になる。そんな「おそれ」を手放し、人生の主人公として生きるには?松本紹圭さん・モリジュンヤ対談 | soar(ソア)

   

 

対してこちらの記事。いかにもはてな匿名ダイアリーっぽい、嫌味ったらしい文章。安全な場所から、自分とは関係ないアマチュア以上プロ未満の写真家や画家について書かれている。

彼らがSNSにアップしてくる写真や作品を見ると確かに上手いとかセンス良いとか思うんだけど、でもこれで食べていけるのかと心配になる。

芸術家たちの貧しい生活について

 

 

この2つの記事が、同じくらいシェアされている。俺も両方読んでしまった。

 

自分が主人公の人生を生きるしかない。本当に大事に思っている近しい人間以外に、時間をさいている暇なんかない。ブレない自分だけの軸を持たなくては。

 

「愚者(ぐしゃ)は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」

 

過去の天才たちを知れば知るほど、現世に生きている人間に大差なんかないと思ってしまう。

 

【関連記事】

【ものぐさ精神分析】30歳を越えてから読んでよかった本感想

【哲学】30代で「能動的ニヒリズム」に気づかないと40歳で(心的に)死ぬ