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ハイパーハードボイルドグルメリポート no vision を聞いて思い直した死生観

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「ハイパーハードボイルドグルメリポート」というテレビ東京の番組がある。その新企画として、音声だけのspotify独占番組「ハイパーハードボイルドグルメリポート no vision」が最近始まった。

 

元々番組のファンだったのでもちろんno vision版も聞いて「音声だけでもすげえ臨場感だな」と思っていた。風俗嬢の回も最高だった。

 

テレビとラジオの違いを一番わかりやすく説明できる、こんな話がある。

 

テレビは「これが世界一の美女です」と言って写真を出すと絶対に反論が出る。ラジオで「あなたが思う一番の美女を想像してください」と言うとリスナーは全員共有できる。

 

そして先日配信された【#07】命の番人の飯 <前編>

福井県東尋坊。日本海に突き出た断崖絶壁の岬から、身を投げる人が後を絶たない。そこに一軒の餅屋がある。店主の愛称はシゲさん。77歳。大根おろしをふんだんに載せた「おろし餅」を振舞う彼のもう一つの顔は「命の番人」だ。来る日もくる日も、岬の突端までパトロールを続けている。これまでに命を救ったのは実に715人。ディレクターはシゲさんのパトロールに同行する。 そしてシゲさんは、遊歩道を外れて崖へ向かう男性を見つけた——。死の瀬戸際に寄り添い続けるシゲさんの言葉から、日本の病巣が透けて見えてくる。

 

じわじわと細胞に入ってきてしまった。多分、音声だけだからだと思う。普段からラジオばっかり聞いてるから、音声メディアの聞き方には慣れている。

 

生きる選択を自分で放棄するのは正解不正解ではなく、不誠実なんじゃないかと思った。

 

人口が増えて進化していくのが人類の推進力だとしたら、子供を産むのが正解。滅びるのが推進力だとしたら、子供を産まないのが正解だ。人類全体の目的なんて完全にマクガフィンだからどっちでもいいし、考えてもしょうがないんだけど、そんなことをちょくちょく考えたりしてしまっている。自殺は本当にダメなことなのか?という問いには、ずーっと「いや、本当に辛かったら死んだほうがいい、しょうがないじゃん」と思っていた。

 

ミクロとマクロの根本は一緒で、宇宙工学と量子力学はめちゃくちゃ似てたりする。だから、自分みたいな結婚願望なしアラフォー独身クソ野郎も、全体が滅亡に向かっているとするならば、滅亡の方向のマクガフィンだし正解じゃん、それでいいじゃんと。

 

死というのをリアルに悲しいと感じられるのは”近しい人の死”しかない。自分が死んだらそこで終わるんだから自分では感じられない。知らない人が死んだところで何も感じない。だからリアルな死は二人称だ。みたいな話を養老先生が言っていた。

 

たまたまだろうが意識的だろうが、会っているその瞬間、そのふたりはお互いに二人称になる。

 

うーん、この辺で思考はストップしてしまった。こういう刺激的な番組がたくさんあっても困るっちゃ困るんだけど、素晴らしい番組。これからも聴きます。