1994年ジャンプ黄金期に出会った「眠兎」
14歳。ネットなし、ど田舎の雪国の中学生。
とにかく漫画が読みたかった。いつも行っていたブックショップおおかわに行ったら、強烈に惹かれた装丁があった。「眠兎」という漫画だった。主人公は15歳、母親殺しの転校生。ハマった。すげえハマった。
主人公の転校生「空木眠兎」、居候先の「小泉時雨」と年子の妹「小泉粋花」。眠兎と時雨は似た者同士で、互いにぶつかり合い、傷つけ合うのを、粋花が潤滑油になってなんとかバランスを保っていた。
3人の15歳の少年少女がお互いに惹かれあい、憎み合い、少しだけ大人になって行く話。完全に3人に自分を同一化して読み続けた。
「ドラゴンボール」や「ろくでなしブルース」が流行ってる中、余白の多い、線の細いその絵が大好きだった。
14歳の自分の、絵に関するフェティッシュを形作るには十分な作品だった。上條淳士先生や、田島昭宇先生の作品と出会うのは、もうちょっと先の話。
その後「蓮華」「I'll」と、どっぷりハマった。「蓮華」は急に終わってしまった。スラムダンクの第2部と蓮華の続きはずーっと待ってる。
ちなみにブックショップおおかわは1年後に潰れた。
中原中也「寒い夜の自我像」
「眠兎」の中で引用されてたのが、中原中也の詩だった。
「そして堅くなりすぎるか 自堕落になりすぎるかしなければ 自分を保つすべがないような破目になります」(寒い夜の自我像)
よくわかんねえ、全然よくわかんねえけどかっこいい。かっこいいじゃねえな、なんかもうすごすぎてすげえ、と思った。年が明けて雪深い新年、好きな子の年賀状にこの詩をまんま書いて送った。死にたい。
中原中也の詩集はその後すぐに買った。漫画以外で初めて買った本。20数年経った今も家にあって、たまに寝る前に読んだりしている。あの頃となんら変わらない、なんかすげえ、ただただ惹かれるという感想しかない。
クオリアだとかセンスオブワンダーだとか、大人になると知恵が邪魔になることもある。
そして今、中原中也詩集の装丁を浅田弘幸先生が書いていて、伊集院光さんの番組「100分de名著」という番組で紹介されていた。大好きな3人が同じ画角に揃うなんて、姉さん事件ですと思いながら見た。ただただ幸せだった。