1989年1月7日に昭和が終わった。当時8歳。正直ほとんど覚えていない。
当時30代前半だった母に聞いてみたところ、ほぼ記憶なしとの返答。年齢関係なく血は争えない…。
昭和が終わった時は8歳だったからほとんど記憶がないので母に聞いてみたら記憶なしとのこと…テキトーか…。(びょんは津軽弁の語尾です) pic.twitter.com/TkxvE1laeR
— オサナイユウタ (@osanaiyuta) April 1, 2019
小学生のうちに元号が変わり、ソ連がロシアになり、湾岸戦争があって、ベルリンの壁が崩壊した。雪国だったので雪合戦の時に「こっちは多国籍軍だあああ!」なんつってはしゃいでいた。1991年(当時11歳)に湾岸戦争の映像をTVで見て「ファミコンみてえだなあ」と思ったのは鮮明に記憶している。
諸行無常。形あるものはどんなにデカイものでもいつか壊れる。国も国境もなくなるし、戦争はおこる。それを物心着いた途端に体感していたことになる。
当時住んでいたのは青森県青森市。タクシー運転手の父と美容師の母。裕福ではないけれど、小さいながらも庭付き一軒家に住んで、中学になる頃には自分の部屋も与えられた。クレヨンしんちゃん一家が、いわゆる一般的な普通の家庭(埼玉県の郊外に庭付き一戸建て車アリ子供2人あと犬)として描かれていた。今でいうと完全な「勝ち組」だ。
一昨年死んだばあちゃんは大正9年生まれだった。4つ目の元号も2度目の東京オリンピックも経験しなかった。まあ、だからなんだっつう話だし、死んじゃったからなんもかんも関係ないんだけど、時々こういうことを思ってしまう。ばあちゃんよろしく自分が死んでも世界は変わらず当然のように動く。
昭和は歴代元号の中でもダントツに長い。ついで明治。平成は歴代4位の長さだ。だから明治以降、親子の生年月日の元号が一緒というのは珍しいことではなくなった。
平成の終わりと昭和の終わり、最大の違いは200年ぶりの「生前退位」。昭和は唐突に終わった(のはうっすら記憶にある)。平成は1ヶ月間猶予がある。振り返るテレビやラジオやブログも多く制作されるだろう。「#平成最後の夏」なんていうツイートも多く見かけた。
かなりの確率で令和の次の元号になる前に俺は死んでしまうけど、それでも世界はやっぱり続くと思うと少しだけ怖いし、そんなもんだよなあと思いながら、しっかりおっさんになってしまって2度目の新元号を迎える今、結構ワクワクしている。
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