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幸せと中庸とエントロピーと八百万の神と。

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幸せという言葉が昔からしっくりこなかった。幸せって普段に比べて脳内物質が出てる一段階上の非日常な感じがして。中庸というのはたしか儒教の言葉で、簡単に言うと、極端じゃなく真ん中、偏っていないこと。基本的にはそういう日常が続けばいいと思っている。例えば社会人なら、明日も多分仕事があって、週末にはツーリングに行ける、パートナーともそこそこうまくいっているし、その他の人間関係にもそこまでストレスはない。

 

ただ、ここで出てくるのがエントロピーの問題だ。人は、というか世界は、安定すると不安定を求めるし、秩序が揃ってくるとどうしてもぶっ壊したくなる。秩序が生まれるとその分の無秩序が生まれるのは物理法則で完全に決まっている。部屋が散らかったら掃除機をかけて、見た目がきれいになったところで、掃除機の中には乱雑にゴミが詰まっているし、それをゴミ箱に捨てて収集日に出したら、まとめたはずのゴミが一気に燃やされて、無秩序に空気の中に拡散される。

 

話を中庸に戻す。日本人には八百万(やおよろず)の神がいる。基本仏教だけど、トップはそれぞれだ。それがとても心地いい。日本で生まれて日本で育ったので、一神教の国のことは多分心底理解はできない。したいとも思わないし。キリスト一択だとつらいわなーくらいかな。いやだって死んだら復活しねーじゃん、と。なにも宗教の話をしたいんじゃない。心の拠り所は、音楽でもいいし、精神分析学でもいいし、脳科学でもなんでもいい。なんなら4つか5つ常に同時に走らせておいた方がいい。そうすると自分を俯瞰で見られるし、セレンディピティが来たときに冷静に対処できる。これは年齢や経験も関係するとは思うけど。

 

なんてことを最近考えていて、養老先生と伊集院さんの対談本を読んだらスッキリした。ま、スッキリするのも一瞬で、また中庸を目指したり安定したり不安定になりながら、だらだら生老病死をこなしていくんだろう。

 

 

 

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